パートナーとの喧嘩で気づいたこと

最後に大きな喧嘩をしたのは、息子くんがおなかにきてくれて、妊娠初期のころでした。

我が家は主人がいそがしいので、平日と土曜はいわゆるワンオペというものになります。
日曜は主人がいちおう休みなので、ワンオペではないですが、家事育児はほぼ私がこなしています。

家事育児のほぼすべてを私が担っていたことが喧嘩の原因ではありません。

その日は日曜日で、娘ちゃんのお昼寝にめずらしく主人が付き添ってくれることになりました。
ですが、2人で寝室に行ったものの、1時間バタンバタンと遊んで結局寝ずに戻ってきたんです。

私は色々な感情でしんどいような悲しいような気持ちになりましたが、
この気持ちの根源はいったいなんでしょうか。

今回は自分の不満について見つめてみました。 

頭の中のモヤモヤは何だろう

昼寝をせずに戻ってきた2人を見て、頭の中はこのあとの過ごし方でいっぱいでした。

お昼寝をしなかった、ということは、夕方眠くなり機嫌が悪くなる。
夕方寝をさせる場合、夜が遅くなり、朝起きるのもつらくなり、そのあとの機嫌が悪くなる。
夕方眠らず活動させる場合、寝る時間を早めるためにスケジュールを前倒ししたり調整が必要。 その調整や対応は私がするんだよね。家事もしなくちゃいけないのに。
育児だって朝から、いやずっと前から私だけがやっているのに。

こんなふうに、日々溜め込んでいた不満がむくむくと膨らんでしまいました。

主人に伝えたものの、返ってきたのは他人事のような言葉でした。

⛄「そんなに大変なら今頑張らなくても大丈夫でしょ。誰も困らないじゃん」
 「またその内容で爆発?いつも同じじゃん。わかたったよ、俺がもっと手伝えばいいわけね」

この言葉に「ありがとう」と素直に感じることができず、むしろ虚しさや焦りが募るばかりでした。

何がこんなに引っかかるのでしょう。この記事を作成した理由は
愚痴をこぼしたいからではなく、引っかかりにある根っこの部分を探っていくためです。

「頑張らなくていい」と言われても救われない理由

大変ならやらなくていいとか、頑張らなくていいとか、そういう言葉が欲しいわけではないんです。

なぜなら、あとまわしにした家事はどうするのか明言されていないからです。
こういう時、片付けるのはほぼ100%、未来の私だからです。

今日の洗い物を後回しにしたら、明日朝食を作るスペースがない。
夕方子どものリズムが崩れたら、翌朝の機嫌が悪くなりやすい。

「今日やらなくていい」は、私にとっては明日の自分に借金をすることと同意義なんです。
「あとでいいじゃん」は、「未来の君が頑張ればいいじゃん」と聞こえてしまうのです。

これは、かなり大きなズレです。 

時間軸の違い

主人と私では時間軸が異なります。

夫は、平日の半分は夜も遅く、普通に帰れる日でも娘ちゃん達はもう夢の中…。
もちろん日中はいません。朝はギリギリまで寝て、自分の準備をしたら出発。
平日は出向、土曜は本社で仕事。日曜はいるけど、仕事部屋に篭る時間帯もしばしば。

つまり、子供達の生活リズムを知っているようで知らないんです。
育児を自分だけでしたことがないので、そこに家事が加わるとどうなるかのイメージもできません。

なんとなく当事者意識が低いと感じてしまう理由のひとつが時間軸の違いです。

私は “1日の流れ全体” を見ている。主人は “その瞬間だけ” を見ている。

そして、この基本となる時間軸は私の軸ではなく、子どもの軸です。
お子様のいらっしゃるご家庭では、子ども軸が常に中心となるのではないでしょうか。

この子ども軸についての理解がパートナーにどれくらいあるかが、
協力や連携のレベルに大きく関係するのではないでしょうか。

さて、何かをお願いする時は具体的な内容を伝えると動きやすい、
ということはよく言われていますよね。それを踏まえて伝えたのに…

⛄「〇〇じゃダメなの?」

このように、子供軸がわからない主人は効率を重視したり、我流を入れようとします。

〇〇だと不都合があるから、こんなに面倒なやり方でまわしているのです。

例えば私の場合、 “早朝に家事や夕食の準備をしておくこと” をルーティンにしています。

遅くまで働き、子どもたちのお迎えをしながら帰宅します。
 👶甘えたい!いっしょに遊びたい!疲れたしお腹も空いたし泣きたい!
そんな乳幼児の面倒をみながら夕食を作ることはとても難しいことです。
ですから、早起きして夕食の準備をするというやり方を取らざるを得ないのです。

⛄「出来立ての方がおいしいし、帰ってから作ればいいじゃん」

こんなふうに言われてしまうと、なんともやるせない気持ちになります。

“早朝に夕食の準備をする” という行動だけを見ると非効率に見えても、
一日の流れ全体を見るとむしろ合理的なのです。

子どもの生活リズムに合わせると、すべてを効率重視にはできないんですよね。

作り置きをしたり、先回りして作業をしたりするのは、手抜きや非効率ではありません。
未来の負担を減らすための考え方なのです。 

ほんとうに欲しいものは

いつも同じ内容で不満が溢れてしまうのは、
お互いに本当の気持ちを理解できず、お互い配慮が足らず、お互い成長できていないからです。

ところで、共通認識という言葉がありますが、
仕事での関係とパートナーとの関係とでは意味が異なると、最近感じています。

前者は知識や情報を共有することですが、
後者では “同じものを見て同じ重さで捉えようとすること” が大切な意味合いをもちます。

つまり、ここでいう共通認識は、 “家事の分担” ではありません。

私が今疲れているのは、ひとりでこなしている家事育児のせいではありません。
もちろん主人にそれらを頼みたいわけではありません。

私が今疲れているのは、この家の “1日の流れ” というパズルを、
毎日ひとりで組み上げている感覚そのものだったのです。

同じように悩んで、一緒に取り組むことができたらどんなに救われるか。

私がパートナーに本当に望んでいることは、この感覚や価値観の共有なのかもしれません。 

今後また話し合う機会が来たときは、 家事育児の負担の話ではなく、
「同じ重さで捉えてもらえないことがつらい」
「家庭全体の流れをひとりでまわしているような感覚そのものがつらい」
ということを伝えたいと思います。

いっしょに1日の流れを見てくれる感覚。パズルを組み立ててくれる感覚。
実際の負担が減らなくても、もしその感覚が少しでも共有できれば、私の心が救われます。

今回、「私は何に引っかかっているのか」を見つめてきました。

それは単なる愚痴の整理ではなく、自分にとって大切なものを改めて考える機会になりました。 

問題が解決したわけではないけれど、自分が何に傷ついていたのか少しずつ見えてきました。

私は、家事育児を分担してくれるパートナーではなく、
同じものを同じ重さで共有できるパートナーを求めていたんですね。

 

伝えることって難しい

残念ながら私たち夫婦は、同じ世界をみつめる時間がほとんどありません。
この状態では「同じ重さで感じて捉えてほしい」と伝えても、抽象的過ぎてピンとこないでしょう。

では、どう伝えればいいのでしょうか。

私は、 “説明する” よりも “共有する” が鍵になると思います。

今までの話し合いは、「寝る前に遊ぶと寝なくなる」「家事を手伝ってほしい」
という結論だけを伝えていましたが、 “結論に至る過程” を知ることができたら、
少しずつ見える世界が広がっていく可能性があると思いました。

主人に見えていないのは、 “その結論に至るまでの世界” です。
ですが、私が一緒に感じたい、組み立てたいと思っているのは、その世界のことです。

「今日は14時に昼寝が終わったし、明日も早いから21時頃に寝かせたいんだ。
寝る前にテンションが上がる遊びをすると興奮して眠れなくなっちゃうから、
20時半をすぎたらのんびりモードに切り替えてね。
よく寝ておかないと、朝は起きられなくなるし、機嫌が悪くなってしまうと私も困っちゃう」

これは「寝る前に遊ばないで」というお願いではなく、
私が頭の中で考えたり心配していることの説明です。

もうひとつ思ったのは、問題が起きたときだけ話し合うのはとても難しいということです。

お互い防御または攻撃モードになってしまうと、
理解するより身を守るほうにエネルギーが向いてしまいます。

私が何を悩んでいるのか、心配しているのかを普段から伝えることができたら、
冷静に穏やかに、話し合いができるかもしれません。

主人と私がぴったり同じ世界をみつめるのは、無理なことだと思います。
ですが、相手の見ている世界を理解しようとする姿勢は育てられると思います。 

子どもたちに

「相手の見ている世界を知ろうとし、自分の世界も伝えられる人」
それは、結婚相手に限らず、友達でも仕事仲間でも、とても大切なことですよね。

娘ちゃんと息子くんにいつか伝えることができたらと思います。

女の子だから、男の子だからというより、ひとりの人間としてとても豊かな力です。

相手と全く同じ気持ちにはなれなくても、
「自分には見えていない世界があるかもしれない」 と思える力。

理解できない世界に嫌悪する前に、
「まだ自分が知らない理由があるのかな」と立ち止まれる力。

この力を育むことは、家庭だけでなく、仕事でも友人関係でも、
大切なものを大切にするための資質になります。 

その資質は “教える” だけで身につくものではないでしょう。

娘ちゃんと息子くんは、これから何年も私達夫婦を見ながら育ちます。

将来、お父さんがお母さんに「なるほど、そういう理由があったんだね」と言える場面があったら。
お母さんもがお父さんに「その考え方も一理あるね」と返せる場面があったら。

子どもたちは、違う考え方の人間同士が歩み寄る姿を見て育つことができます。

それはきっと、どんな言葉よりも強い教育になります。

今日私が見つけた価値観は、主人を変えるためのものではなく、
子どもたちや家族全体の指針にもなり得るものです。

「同じものを見て、同じ重さで捉えようとすること」 は、教科書で覚えるものではなく、
毎日の会話や、家族がお互いを理解しようとする雰囲気を肌で感じながらで育んでいくものです。

相手の見ている世界を知ろうとし、自分の世界も伝えられる人。
それはきっと、誰かと生きていく上で、とても美しく尊い姿です。

娘ちゃんと息子くんが、そんな人になれますように願いながら、
私と主人もゆっくり1歩ずつ歩んでいきたいと思います。

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