子どもの見ている世界

私と娘ちゃんがみている世界が違うことはもちろんですが。
私が普段見ている世界も、娘ちゃんを通してみてみると、また別物ってかんじがしておもしろいんですよね。

子どもの世界と大人の世界

優しいものや人にたくさん触れることもできるし、反対にこわい・危ないと感じることもあります。

私たちは大人になると、世界を効率よく見るようになります。
公園なら、「暑い、日陰はどこだろう」「そろそろ帰らないといけない」と、
病院なら、「今日は混んでる、あと何分かな」と、
そんなふうに、自分の目的に沿って世界を切り取るようになっていきます。

でも娘ちゃんは違います。
「この人とお話ししたい」 「このお花きれい。ブランコもしたい」 「赤ちゃんがいる!」
そんなふうに、子どもたちの世界の中心は、自分と人、出来事、興味で満たされています。

だから娘ちゃんと一緒にいると、私一人では見過ごしていた優しさに気づくことがあります。

一方で、子どもは好奇心のままに近づき、声をかけたり触れようとします。
「この人は今忙しそう。」 「車の通りが多い道」 「その遊び方は危ない」 などと、
危険を察知したり、未来を予測する視点は大人の役割です。

世界の共有

娘ちゃんは、人との出会いを通して私に新しい世界を見せてくれます。

一方で、私は娘ちゃんに、「その言い方だと相手は悲しいかもしれないね。」「この花は〇〇だよ。いいにおいがするでしょ」と娘ちゃんの知らない世界を見せることができます。

つまり、私たちはお互いの世界を少しずつ交換しているんです。
子どもは親から世界を教わるだけではなく、親もまた子どもから世界を教わってるのです。

そう考えると、子どもは「育てる存在」であると同時に、「世界の見え方を広げてくれる存在」でもあるのかもしれませんね。

そして、娘ちゃんや息子くんがいなければ、接点がないままだった人達や、触れることがなかったものってたくさん存在するんですよね。

娘ちゃんや息子くんは、私が考えがたこともないようなことを考えるきっかけをくれたり、
自分じゃ絶対行かない・買わない・やらないものへの挑戦の機会をプレゼントしてくれます。

やっぱり、私も育ててもらっていますね。

今日も、そんな出来事がありました。
娘ちゃんが発熱して、病院の後薬局に行ってきたんです。(本人は元気!)
赤ちゃんの頃からずーっと通っている薬局で、スタッフの方々にも可愛がってもらっています。
娘ちゃんも可愛がられているのがわかっているので、いつもサービス精神旺盛です。
お薬をもらって帰るとき、「ありがとう、バイバーイ!」と手を振ると、受付のお姉さん方、調剤室から出てきている薬剤剤師さんたちみんながニコニコで手を振ってくれるんです。

薬局って、本来は「薬を受け取る場所」ですよね。
大人同士だと、患者と薬局スタッフというに立場で関わりをもちます。
でも子どもがいると、その境界線が少しだけ薄くなるように思います。

薬剤師さんは薬剤師さんである前に、ひとりの人間として接し、笑ってくださいます。
受付の方も、仕事中だけれど思わず手をとめてお話ししてくださいます。
肩書きの向こう側が見えることがあるんです。

娘ちゃんがいなければ、この方々のこんな一面や、優しい笑顔を知ることはなかったかもしれません。

社会的参照(social referencing)

娘ちゃんがどんなに人懐っこくても、例えば私がいつも無愛想だったり急いでいたりしたら、こういう関係は育ちにくいと思うんです。

「お願いします」「ありがとうございます」 「今日は一段と暑いですね」 という挨拶や雑談を、普段から私がしているから、娘ちゃんがそれを観察して真似することができます。

社会的参照(social referencing)とは、乳児や幼児が不安を感じたとき、信頼する他者の表情や行動を手がかりにして、自分の行動や感情を決定する心理的プロセスを指します。
子どもが社会のルールを他者から学ぶ、大切な力です。


また、社会的参照は、情緒の共有や他者理解、共感性の発達において基盤となる能力です。

大人でも、初めての場面で周囲の人の反応を見て判断することがあります。
たとえば、作業中におもしろい音が鳴ったとします。
「笑っていい場面なのか」と周囲を見て確認するのも、社会的参照の一例です。

つまり、社会的参照は発達初期に始まり、生涯を通じて私たちの社会的行動に影響を与える重要な心理的メカニズムなのです。

この観点から考えると、周りの方々との関係は、娘ちゃんがひとりで作っている関係ではなく、親子で少しずつ育てている関係であると考えることができます。

「親の背中を見て育つ」「子は親を映す鏡」「カエルの子はカエル」ということわざが示す通り、
私たち親の言動は、子どもたちに良くも悪くも大きいな影響を与えてしまうということを、今一度認識しなければなりません。

子育てをしていると、「子どもを育てる」という表現をよく使いますが、実際にはもっと双方向なものであると、最近はよく思います。

娘ちゃんが生まれてから、未熟な自分、弱い自分、情けない自分をリアルに感じ、じぶんの至らなさをまざまざと思い知らされます。ですが、そんな自分もより柔軟に、より強くたくましく、少しずつ成長しています。

娘ちゃんの成長をひとつひとつ見つめていくと、自分という人間の変化をポジティブにとらえることができるように思います。

やっぱり、「育てる」と「育てられる」は、実は同時に起きているのです。

まとめ

今回は、娘ちゃんと一緒にみつめる世界はとてもおもしろく、輝いてるというお話しをしました。

子どもがいなければ出会わなかった人。気づかなかった優しさ。見過ごしていた季節の変化。
考えもしなかった価値観。 子どもたちは、それらを毎日のように私たちに運んできてくれます。

仕事に育児に家事、悩み事も 尽きないしこんなご時世で心配なこと、大変なこともたくさんありますが、子どもたちが楽しそうに見せてくれる世界を、私も大切に受け取っていきたいと思います。

同時に、子どもたちが見ている世界は美しく優しいものであってほしいと考えるようになりました。

自分の背中はいつだってシャンと伸ばしておきたいし、素敵なママになりたいし、子どもに誇れる仕事ぶりでありたいと思っています。
さらに、周りの子どもたちのことも愛おしく感じたり、地域や社会に目が向くようになったのは、やはり娘ちゃんと息子くんの存在が大きいです。

このように考えること自体、筆者も人間として成長しているのでしょう。

娘ちゃんと息子くんが、この先、どんなふうに成長していくのかとても楽しみです。

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